東京で回復期リハビリテーション病棟立ち上げスタッフとなる。
理学療法士2年目のヒヨッコに何が出来るのか。不安と期待があったが、出来ることを全力でやるだけ。
そして、ここでも素晴らしい仲間たちに出会えた。
何より貪欲にセラピストとして成長しようとしているスタッフが沢山集まった。
それぞれが刺激しあい、良い雰囲気でバチバチしていた。共に語り合い、勉強し合い、楽しみながら成長していた。
しかし、ここで気付いた事がある。
患者さんのリハビリをしていても思ったように良くなっていかない。
以前勤めていた千葉の病院とは明らかに違う。
その原因はスタッフのレベルの違いだった。
千葉の病院はある程度のベテランセラピストも多く在籍しており、若いスタッフが担当していてもフォロー体制が出来ていたし、教育もしっかりとしていた。
新しい東京の病院は若いスタッフが多く熱意はあったがまだ経験値不足だった。
千葉時代の環境に感謝したのと、このままではダメだと焦りを感じたのを覚えている。
このことも東京に移動して気付けたことだったし、千葉に残っていたら気付けなかったかもしれない。
ここでまたスイッチが入った。
理学療法士としても3年を経過し4年目を迎えたある日、病棟の飲み会があった。
会も終わり、店を出るとそこにボクシングジムがあった。なぜか入店時には気付かなかった。
とても動きたい衝動に駆られ、翌日には見学と体験に行っていた。
久しぶりのボクシングはとても楽しかった。
見学と体験を終えると会長が来られた。
柳光和博会長だった。
柳光会長は私が高校時代、綺麗なサウスポースタイルで参考にしていた選手の1人だったので驚いた。
すぐに入会手続きを済ませ、私の第二のボクシングライフが再開した。
練習を再開して半年ほどたった頃だっただろうか、アマチュアの大会に参加しないかと誘いを受ける。久しぶりの試合と減量に不安と期待が入り混じった。
結果は1Rに2回のダウンを取り1RKO勝利!!アマチュアではRSC(レフェリーストップコンテスト)勝ち。
その後会長からプロにならないかと誘いを受けた。
自分の中でプロボクサーとは崇高なもので、人生を賭けなければ成れないものだと思っていた。
仕事とボクシングの両立…
仲間や恩師にも相談した。
今しか出来ない事をやろう。後で後悔はしたく無い。
プロボクサーになる覚悟を決めた。
この決断は私の人生の中でかなり大きな決断だったが、この経験は今の人生の中でも大いに役立っている。
朝から18時くらいまでは病院で働き19時くらいから練習、休みの日や練習に行けない日はロードワークという日々が続いた。
365日プロボクサーで有るという意識を持つ。
高い志はあったが、気の知れた仲間と飲みに行く事も多かった。メリハリを付けながら充実した毎日だった。
練習を重ねていると、会長からデビュー戦の誘いを受けた。2012年11月22日28歳6ヶ月でのデビューだった。
職場や家族など70名近い大応援団が駆け付けてくれた。
試合結果は1RKO勝利。
トレーナー、会長、ジムの仲間、応援団の皆んなと勝利の喜びを分かち合った。
デビュー戦後は大きなダメージも無く、少し休養を取り直ぐに練習を再開した。
そんな矢先、早くも2戦目の誘いを受ける。
2012年12月31日大晦日、トリプル世界タイトルマッチ、大田区総合体育館柿落としのビックマッチの前座試合だった。
試合間は短かったが、二つ返事に試合を受けた。
自分が大晦日のリングに上がれるだなんて思ってもみなかった。
大晦日当日またしても奇跡が起きる。
この日の私のカードはアンダーカードと言って、タイトルマッチの開始までの時間を調整する為の穴埋め用のカードだった。例えばタイトルマッチ前の試合でKOが多ければ、タイトルマッチ開始時間まで間が空くので試合は早まり、予定通りに試合が進めばタイトルマッチ終わりに後座試合として組まれると言う感じだ。アップのタイミングも難しかったが、常に動けるように軽いストレッチをしながら時間を過ごしていた。
8回戦の選手が1RKOで終わった試合があり、一気に試合ペースが早まった。
「片山選手ここで試合組みます‼︎」
スタッフの方が言ってきたタイミングはなんと、世界タイトルマッチの直前の試合だった。
このタイトルマッチは、和製パッキャオとも呼ばれ、後に井上尚弥ともタイトルマッチを闘った河野公平さんのタイトルマッチだった。
世界タイトルマッチ直前と言うこともあり、観客も集まり出した舞台としては十分過ぎる状態だった。
リングインする時も気持ちは高まっていた。
しかし、思いの外緊張はなく、どこか落ち着いていた。
いざゴング、脚は動く、調子も悪く無い‼︎
頭を振りながらジャブで距離を測る。
相手のパンチが見えていた。
今思えばこの時はZONEに入っていたのかもしれない。
私は右利きだが、剣道の流れからサウスポーで闘うスタイル。この時は相手もサウスポー。
相手の左ストレートが見えていたので、自分の左ストレートの角度とタイミングを確認する。
その時だった、1Rも中盤を過ぎたところ相手が左ストレートを伸ばしてきた。
身体が勝手に反応していた、タイミングはドンピシャだった。
相手は糸の切れた操り人形のようにクシャっと倒れてリングに手をついていた。
狙っていた左がきれいに当たった‼︎
相手はフラフラしながらも立ち上がって来る。
セコンドの方を見ると、まだ行くなのサイン。
会長とトレーナーからは長いラウンドを経験した方が良いから慌てるなとの事だった。
そのラウンドはプレスだけかけて詰めずに終わらせた。
1Rのインターバルでは、慌てるな、パンチを貰わないようにだけ注意して長いラウンドで闘え。との事だった。
2R開始‼︎
相手は明らかにダメージが残っていた。
ボディワークとプレッシャーでロープ際に追込み軽くパンチを出す。
2R半ばを過ぎた頃相手の手も出なくなって来る。
軽く右フックが当たると相手の膝が落ちた。
ここでレフェリーストップ。
見事2戦目もタイトルマッチの前座の舞台でKO勝ちを収める‼︎
私のボクシング人生で1番華々しい舞台だった。
余談だが、この後闘った河野公平さんも勝利を収め初タイトルを奪取した‼︎
この河野公平さんとは後に縁があり、シシド・カフカさんのキケンなふたりと言う楽曲のMVで共演させて頂いた。
探す方が難しいと思うが、興味が有ればご覧あれ。笑
この後プロボクサーとしては勝ったり負けたりを繰り返し、戦績としては3勝3敗(2KO)でリングを降りる。
この負けの中でも内の2選手は私を踏み台にして、ランカーになりタイトルマッチも闘うほどに成長している。
そんな試合に関しては今後番外編で執筆して行こうと思う。
このプロボクサーとしての経験は今の私の中でも非常に活きている。
応援し支えてくれた皆様、ボクシングを通じて関われたすべての方々に深く感謝申し上げます。
東京時代の私の覚悟の中にもう一つ大きな覚悟がある。
それは結婚だ。
一人の女性と夫婦になる。
血の繋がりのない赤の他人と家族となりともに生活していく。
今思えば当時の私は子ども同然のどうしようもない男だった。
千葉時代の話しの最後に突如妻を登場させてしまったが、妻との出会いは同じ職場の同期入職だった。
同期と言っても私は大学を経由しての入職だったため4つ年上、妻は早生まれなので数え年だと5歳差。
私の第一印象はかわいくてきれいな子だった。
妻からの第一印象は偉そうなやつに写っていたようだ。笑笑
入職当時は、同期ではあるものの働く階が違ったためそんなに関わることはなかった。
距離が近づいたのは大震災の後のクラブ「ヤーマン」が出来てからだった。
楽しいことが好きでサーフィンやフラダンス、フェス、海外旅行といろんなことをやっていた彼女は、同じ寮に住んでいたこともありクラブ「ヤーマン」のイベントにはレギュラーで参加してくれていた。
片付けも手伝ってくれるし、何よりかわいい。
沢山話しもしたんだろうけど、いつもかわいいなぁと思っていた。笑
今思い出してもまさかこの子と結婚できるなんてと嬉しくなる。
そんな距離が近づいた矢先、私は東京へ異動が決まる。
この逢えない時間ががまた思いを募らせる。
いやぁ恋だね。笑笑
思いを伝えてお付き合いするようになってからは毎日がバラ色のお花畑だったな。笑
そんな彼女とも一度別れたことがあった。
完全に私の嫉妬とわがまま。
当時は27歳くらいか??完全にキモい大人5歳児。笑
そのせいで彼女を傷つけてしまった(物理的ではなく精神的に)こともあったことを今でも深く反省と後悔している。
別れていた頃は毎日が泥沼のような重たい日々。
いやぁかなり依存しちゃってましたね。笑
どれくらいの期間が空白だったかはもう覚えてもいないが、再度思いを伝え復縁できたときは心から喜んだ。
結婚を決意し、彼女の御実家へ挨拶へ向かう。
とてものどかな田舎町だった。
緊張しながらもお義父さんとお義母さんに自己紹介をして、食事を頂き、娘さんとの結婚の許しを頂く。
お義母さんからは泣かれたが、覚悟は伝えた。
その夜、事件は起きた。
夜中に急に呼吸が苦しくなる。
持病の喘息??
いや何か違う、顔やのどの粘膜という粘膜が腫れている。
救急病院へ搬送!!
状態を診た当直医はすぐさまICUへ。
アナフィラキシーショックだった。
当時は何が原因だったかは解らなかった。
初めてのご挨拶から大きな印象は残せただろう。笑
ちなみにこのあと2回目の来訪時も同じ症状で搬送され、そこで精密検査を再度受けてアレルギー源がダニだと判明した。
3回目の来訪時は夏だったので外でテントで寝た。笑
それ以降は畳の部屋ではなく、フローリングの部屋を用意して頂いている。
世話の焼ける婿だ。笑
結婚式も最高だった。
準備は大変だったが、嫌いじゃなかった。
沢山の方々に祝福され、妻と私と二人が主役の宴会、最高!!笑
東京での経験は本当に沢山の学びがあって語り尽くせない。
人生の転機、覚悟、好機!!まだまだ可能性を感じている。