○第7話 千葉時代〜修行と遊び〜

就職先は千葉県にある回復期のリハビリ病院に決まり、ここから私の理学療法士としての人生がスタートした。

この病院は私が通っていた専門学校の系列の病院で関東進出1号店だった。

初めての仕事、初めての場所、初めての上司、初めての仲間。

さぁここから頑張るぞ!!と意気込んではいたが初めから上手くはいかなかった。

先ず初めに理学療法士としてのデビュー戦は挫折の連続だった…

なぜなら目の前の患者さんに対して何も出来なかった。

今になって思えば当たり前と言っては当たり前なのだろうが、患者さんに関する情報収集、目標設定、評価、自分の手玉の少なさ。

全てが重なっていた。

そんな自分の無力さに肩を落とす日々だった…

しかし、そんな事を言ってても仕方がない。

毎日先輩の施術を見て、毎日先輩からアドバイスや指導を頂き、毎日凹んで仕事にいっぱいいっぱいだった。

そんな中で私が1年目に続けた習慣が有る。

それは筋肉を手で触る『触診』だ。

毎朝仕事の前に教科書から一つの筋肉を決めて、その日入る患者さん全員の同じ筋肉を触ってみるという事を続けた。

1年が経とうとしていた頃、ようやく身体の筋肉のことが理解できるようになってきた。

そして2年目のある日、動作分析が出来るようになってきた。

この動作分析とは歩行や基本的な動作を見て、機能的に可動域、筋力、動作スキルのどこにどんな問題が有るのか仮説を立てる事だ。

この見立てが出来ると、動作分析後に実際に可動域や筋力の評価をして、足りなければ機能訓練を行なう。動作スキルが足りなければそこの練習をするといった形で仮説を立てて、アプローチをして、再度評価をする。といった流れでリハビリが出来るようになる。

こんな感じで毎日仕事は一生懸命頑張った。

しかし、その分休みの日は自堕落な生活だった…

休みの前の日は大体飲みに出掛け、ベロンベロンになる。翌日は軽い二日酔いのまま朝からスロットを打ちに行く…給料もいただけるようになり、当時は自己投資なんて言葉も知らなかったため浪費の毎日を過ごしていた。

当時の自己投資と言えば本はよく読んでいたかな。

そんな日々を過ごしていた何気ない日常だったがあの日を境に変わった。

2011年3月11日 東日本大震災

あの瞬間は今でも鮮明に思い出される。

お昼過ぎ午後のリハビリが始まり、患者さんと屋外歩行の練習をしていた。

突然眩暈でもしてきたのかと思う違和感。

何かおかしい…

地震だ!!

患者さんに近くの手すりに摑まるように指示し、転倒しないように後ろから必死に抑える。

揺れがどんどん強くなる。駐車場の車はアメ車のように縦に揺れ始める。病棟が左右に歪んでいるのが解る。私たちの住んでいた寮は軋んで揺れている。遠くに見える日本家屋の屋根瓦が雪崩のように崩れ落ちる。

何が起きているか解らない、恐ろしい光景だった。

揺れが一時納まり、病棟へ戻る。

リハビリ室も病棟も騒然としていた。転倒者が0だったことは奇跡だと思った。

エレベーターが止まり、自力で病棟に戻れない患者さんに関してはベッドシートなどを利用して階段で担いで登る。避難訓練が役に立った。

その日は余震も警戒しながら、自宅待機となった。

寮に戻ると、壁がボロボロになり冷蔵庫と電子レンジがとんでもないところに転がっていた。地震のパワーの強さを改めて感じた。

その後も計画停電などで今まで当たり前と思っていた生活が困難な日々が続いた。

余震の際の携帯からのアラームもストレスだった。慣れてくると余震もアラームが鳴る前に気付けるようになっていた。

計画停電が夕方の時は、自宅で温かい夕食が作れなかった。

流石に仕事終わりにコンビニ弁当じゃ寂しいと思い、私が休みの時は働いているスタッフにもつ煮込みを作って振る舞ったりもした。

電気は止まっていたのでカセットコンロと灯はキャンドルだった。

同期に加えて先輩も加わり皆んなで食べる食事もこれはこれで楽しかった。

少しずつこんな生活にも慣れてきた頃、壊れた寮の壁の補修工事が始まった。

当時住んでいた寮は両サイドにキッチンとユニットバスを挟んで左右に2つの部屋が有り、その両方の部屋にそれぞれに入口がついていると言う間取りで、2つの部屋を1人で使うというようなつくりだった。

使い方としては片方をリビング、もう片方を寝室として使っていた。

壁の修理が入る際に片方の部屋に荷物を全部まとめて半分ずつ工事を行った。

その時片方の部屋だけでも充分収まる事に気が付いた。

よし、空いた部屋をクラブにしよう‼︎

娯楽が少なかった分何か楽しい事をしたかった。

初めて入ったボーナスで、モフモフの絨毯、ガラステーブル、ターンテーブル、レコード、パワーアンプ、スピーカー、ミラーボール、スポットライト…必要な物を買い揃えていった。

入口にopen・closeの札を着けてクラブ「ヤーマン」は完成した。

毎晩のように人が集まり楽しかった。

先輩たちとも仲良くなって、サーフィンも教えて貰った。

同期とも交流が増え、現在の妻ともこの時距離がグッと縮まった気がする。

仕事に関しては毎日凹んでばかりだった分、プライベートで高揚感を求めていたのだろう。

肝心の仕事の方はと言うと、毎日積み重ねてはいるものの成長は感じられない日々。

同期の中では少し年上だったこともあって、何かと頼られる存在に…そんな自分に違和感を感じていた。

そんな時東京都大田区に新しい病院の立ち上げが有るからそこに行ってみないかとお話しを頂く。

直感的に何か変われそうな気がしてそのお話しを有り難く受けさせて頂く事にした。

千葉時代の経験は修行の日々ではあったが、とても環境に恵まれていたと思っている。

投稿者: pt-boxer

皆さんこんにちは♪ 福岡県で整体院の院長をやっております、片山佑一と申します。 人生100年時代に突入し、皆さんの健康がこれからとても重要になる事は明白になっております。 『いつまでも自分らしく健康でいられる社会を創る』 を目標に、身体の健康、心の健康、経済的な健康を含めて、本当の健康を皆さんにお届けしていきたいと思います。 どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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