身体も少しずつ強くなり、この辺りからは身体を鍛えると言う事と競技者として剣道に向き合う‼︎
当時私の通っていた中学校の剣道部は地元では強く、顧問の先生も厳しい部活動だった。
毎日の厳しい稽古に必死に食らいついて行った。そんな稽古を積み重ね、中学2年生の時に強い先輩達に混じってレギュラーに選抜された。大した役には立てなかったが必死に頑張っていた記憶はある。笑
3年生の時には団体戦の大将を任された。
剣道の団体戦は先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人で争われる。先に3人勝てばチームは勝利となる。気の小さい私は、団体戦の時には先人の選手で試合が決まってくれといつも何処かで願っていた。笑
中学生最後の大会中、体連。市大会の決勝。その場面は回って来た。副将まで相手チームとはイーブン。この大将戦で優勝が決まる。しかも相手は全国でも通用するような強者。下馬評としては私の勝算は少なかっただろう。私としてはもうここはやるしか無い‼︎覚悟を決めた。
結果はまさかの一本勝ち‼︎チームで優勝を喜びあった。
自分の記憶としては必死過ぎて鮮明では無いが、当時のチームメイトは未だにこの試合の事を語ってくれる。
仲間が与えてくれたパワーだったのか、無我夢中で闘い、やり抜いた中学時代と剣道だった。
もう一つ中学時代に私に大きな転機となったのは生徒会活動だ。
私は生徒会活動で保健体育委員長をさせて貰った。
その中でも体育祭に関しては今でも忘れる事の出来ない感動を体験した。
保健体育委員長を仰せ預かって一番の大仕事「体育祭」‼︎
大枠の競技は決まっているものの、会場作りから、入場行進、選手宣誓、閉会まで全責任を問われる役割。こんな事を私が出来るのかと思っていたし、実際に準備をしている段階でも何度も逃げ出したくもなった。
放課後部活動に行きたいのに、と思いながらグラウンドに石灰で線を引く。練習をすれば消えるのでまた線を引く。トラックの線はグラウンドを削って溝を作り、その中に石灰を引き上からジョウロで水を撒き固める。これだけでもなかなかの重労働だ。
毎日遅くまで会議の日々。
最初に考えていた入場行進が複雑過ぎて、上手く皆んなに伝え切れず、最初から再考。本番ギリギリまで準備と会議は続きました。
いざ、本番‼︎この時も必死過ぎてあまり記憶に無いけど、最後の閉会式で勝手に涙が溢れて止まらなかった事は覚えています。今までに無いくらいの涙。悔しいとか悲しいとかじゃなく、心からやり切った‼︎と感謝の気持ちの涙。心から声が出て「体育祭最高‼︎」と叫んでいました。
支えてくれた生徒会のみんな、相方の保健体育委員長、そして最後まで見守ってくださりサポートし続けてくれた教員の皆さま本当に有難う御座いました。
そして、この体育祭後もう一つの転機が訪れる。
初めてのモテ期だ‼︎笑
体育祭後、後輩からの視線を集める事が多くなった事に気付いた。自意識過剰かもしれないがきっとこの時はモテ期だ。笑
最初に違和感を感じたのは下級生の廊下を歩いていた時だ。私が通ると女子生徒がざわつき教室に入る…
ん⁇
振り返ると教室から出ていた女子生徒の頭が引っ込む。
何が起きているのか理解出来なかった。
不思議な現象は更に続く。
休み時間に中庭で遊んでいた時(当時3年生は1階を使っていたので休み時間には中庭に出て遊んだり寛いだりできる)ふと上を見上げると2・3階の窓から女子生徒の顔がパパパッと引っ込む。そのまま見上げて、調子に乗って手を振ってみるとキャー‼︎と歓声が上がる。笑
こんな経験二度とないんだろうなぁ…笑
何かを本気でやり遂げた時、誰かが見てくれている。正当な評価を受ける事が出来る。そんな事を学んだ気がした15の春でした。笑